beef syndrome.
2013年 11月 17日
思いっきり、議論してくれて、
まさか、そんなに真剣に考えてくれているとは思いもよらず、
おウチシェフから、「ほら、適当なこと言ったけど、言われた方は真剣よ」と諭され、
ちょっと、申し訳ないような気持にもなった。
さて、今年の牛肉を取り巻く状況の異常さは何度か書いてきたが、
ここへ来て、まさに弱肉強食の雰囲気、
仕入れに勝ったスーパーには、質の良い値頃な牛肉が並び、
そうでないスーパーには、そうでない肉しかない。
そんなんで良いのか、とは思うが、オレひとりでは、どうにもならない。
「牛」が「牛肉」になってテーブルに乗るまでには、いろんなステージがある。
生産者、加工業者、卸業者、そして販売者に消費者。
少ないパイを最小限のコストで調達しようとする時、
それぞれが、ちゃんとお仕事をすればするほど、
それは、各自の立場でエゴに近いゴネになってしまう。
こんな時こそ、皆でワンテーブルを囲み、
どうしたら、それぞれに将来があるのか、
将来に渡って、美味しい牛肉を値頃で食べれるように、
業界の最大公約数を探す努力を始めてもいいんじゃないかと、
そんな思いで、コメントに愚痴ったんです。
長岡さま、そんな気持ちです。
まずは、どこかの居酒屋さんでワンテーブル囲みましょうか。
同意!
自分は生産する側に近いのですが、今の相場は異常ですね。
といって、生産コストがペイできてるかというと、そうでもない。
そして、高く買ってもらわないと再生産できないけど、末端の値段が上がれば消費が落ちて・・・ジレンマです。
和牛の将来、どういう絵が描けるのか・・・難しいですね。
出口の方々と、ゆっくりお話ししてみたいものです。
もちろん、肉でも喰いながら・・・
いやぁ うれしかったです。 ほんま。
実際のところ、私は生産という範囲でいっぱいなんですね。
おいしいお肉といわれるまでの手前 手前の段階で、牛が生産されていくのが可能という血統 近親 遺伝 というものを考えなければならず、高値購買とされるものに一極集中すると、神戸 松坂 近江 という銘柄牛が成り立たなくなる可能性が大なのです。
単純に血液の分散を考えていかなければ、但馬牛の将来が見えないんですね。
私の住む美方郡という地域は、本当に但馬牛の生産の責任というものが重いのですね。
色んな方面へと羽ばたく但馬牛は、責任という重いものも保証書のような感じでその牛に一生付いてまわります。
うそ 偽りがあったら、但馬牛自体が総くずれとなってしまいます。
歴史 伝統 文化 というものを基礎として、先人が守り続けて、それをバトンタッチされた私です。
そのようなことで、「おいしい神戸ビーフ」という内容は無知にちかいのですね。
おいしさの説明ができない、、、、ショボ~ン!
一度おいしいおビールなどまじえながら、おいしいお肉とはこうなんや! ああなんや! とご教授してもらえたら、、、
ウチの地元の農家さんもそうなんですが、出荷した牛を食べたことがないって。
そんなんですので、たまに個体番号をしっかり付けて持って行ってあげたり、
いついつどこの売場にあなたが育てた牛が並びますよ、
だから買ってねとかもお知らせしてます。